2011年02月18日

紫式部

王朝文化が最盛期を迎えた平安時代中期に、紫式部によって描かれた

「源氏物語」。四季の風致を背景に、宮廷貴族の風雅な生活が克明に

描写されております。1000年の時を経た今でも「源氏物語」は約20の

言語に翻訳され、世界各国で愛読されていると言われております。

古今東西を問わず多くの人々を魅了する物語を残した紫式部とは・・・・・?

どのような人物だったのか 皆さまもきっと興味がわいてくるのでは・・・・

紫式部の生没年は不明のようです。

父親の藤原為時は越前国(現・福井県東部)の受領で中流貴族でした。

学者でもあった為時は、我が子らに漢籍(中国の書物)を教えましたが

紫式部は格段に物覚えがよかったようです。

長徳4年(998)頃、紫式部は受領の藤原宣孝と結婚。翌年、娘の

賢子を授かう。しかし 結婚生活は宣孝の死去によって2年余りで幕を

とじたようです。

紫式部が「源氏物語」の執筆を始めるのは、夫を失ってからのことだそうです。

虚構の世界を紡ぐことで、その悲しみを振り払おうとしたのかもしれません。

「源氏物語」は書き進められるにつれ、、宮中にまでその評判が届くように

なり、紫式部は時の権力者であった藤原道長(966~1027)に才知を

見込まれ、道長の娘である中宮(天皇の后)・彰子の女房(高位の侍女)として

召しだされるようになる。紫式部は出仕後も「源氏物語」を書き続け、目の当たりに

する宮廷の華やかさや道長の栄華は、作品に反映されていたようです。

皆さまは「源氏物語」54帖の物語のうち、どこの巻が・・・・・・・・・・

光源氏の生き方には・・・・・・・華やかな恋物語の裏に描かれている

本質とは・・・・・・・・

1000年も時を経ても愛されていることが 納得できますよね(^-^)

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