伊勢型紙とは
1200年の歴史があると言われる伊勢型紙・・・・
どのように誕生し、発達してきたのでしょうか
現在も伊勢型紙の産地として知られる三重県鈴鹿市白子町は、伊勢参宮街道の
宿場町として 栄えたところです。
型紙制作の歴史は古く、白子町の旧家に残る古文書には、延暦年間(奈良後期)
型売り商4軒とあり、時代を追うごとにその数は増え続け天保(江戸後期)
286軒と記されているようです。
紙による型が 一般的になってのは、他の素材に比べて価格が安く
薄く平らで適当な強さを有し、折ったり曲げたり切断、接着が自由で
型の素材として好都合であったようです。
発祥については、神亀年間(724~728)に「天童孫七」が型紙業を営んだとか
伊勢白子観音寺の僧が不断桜や経本の虫食いを頼りに紙を切り抜き
「富貴絵」模様を考案したとか さまざまな言い伝えはあるようですが
染型紙の代表は長い歴史を誇る「伊勢型紙」であることは間違いありません。
特に江戸時代には、紀州藩領地となったことで、型屋は藩の強力な庇護・統制のもと
全国各地の紺屋とほとんど独占的な取引をし、強力な商業基盤を築きあげるまでに
発展し、型紙といえば伊勢と言われるほど伊勢型紙は各地に定着し
日本の型紙を語るうえで欠くことのできない存在となっています。