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2011年12月21日

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最近は おけいこをしていて つくづく 歳を感じる今日この頃です。

話の中で 丹前?足袋?草履? 本当に 知らない方がたくさんいらっしゃいます。

「草履・・・・? あー 着物の時の 靴ね・・・・・」 という感じ・・・・・

足袋は 最近 タビックスというものが 出始めたので なんとなく説明したら・・・

分ってもらえるかな・・・・・・

「足袋ってね・・・・」

下駄や草履の鼻緒がはさめるように親指が分かれているきもの用のソックスに

相当する 布製の履物だよ。(中には草履・鼻緒を知らない方も(ー_ー)!!)

昔は 鹿やサルの革を使って指の分かれていない袋状で、筒が長く、紐で足首を

しばっていなんだよ。

指が分かれたのは 鎌倉時代の頃だよ。昔の武士は 主君の許可(足袋御免)がないと

足袋は履けなかったんだよ。

茶道が盛んになり 茶人の間から 木綿足袋がおこり 紐に代わってボタン掛けや

こはぜ(?)掛けが出来たんだよ。

履いていると 悪臭を放つ 革の足袋に代わって 急速に木綿足袋が普及していたんだよ・・

昔の足袋のサイズの測り方は 一文銭を並べて 文数を測ったんだよ・・・

ジャイアント・馬場の16文キックは有名だよね??????

アラカンばあちゃんも 昔は 靴を買うときは 何文と言ってましたよ・・・・

おけいこは こんな話で 盛り上がることも・・・・・・・

本当に 時代を感じて しまいます・・・・・・

2011年10月15日

白鷹紬NO3

 息子さん寛幸氏の手で 大変な作業の末 板締めで染め上げられた1本の糸が

機織りの お母様の手に託されます。

白鷹紬の機も独特dす。

 

このように 小松織物公房の小松紀夫さんを中心に、奥様のトモさん

息子さんの寛幸さんの手で 大切に守られ続けている白鷹紬なのでした。

感動  感動の一日でした。

300年前に上杉鷹山によってはじめられた白鷹紬はこれからも 脈々と

受け継がれていってほしいと思っております

2011年10月15日

白鷹紬 NO2

板締めの染色作業は1時間続けられます。

その間 私たちは 米沢の織物の歴史・白鷹紬のの歴史などを

お話していただき・実際に機織りを見せていただきました。

その間 ただひたすら 染の作業を行っていた寛幸氏より

染色作業が終わったと連絡が入り、再び 染色の工場へ・・・・・・

うまく仕上がったのでしょうか?緊張の一瞬です・・・・・

板締の板を1枚1枚とっていきます。こんなにきれいに染まっておりました。

寛幸さんが板をとり、手際よくお母様が 糸をとっていきます。息もぴったり・・・・・(*^。^*)

こうしてようやくたくさんの人の手によって 一本の糸として 完成したのです。

本当に絣がきれいに染まっておりました。

2011年10月15日

白鷹紬

前回の写真は白鷹紬のかすり糸に縞模様を染色している

様子でした。

白鷹紬は300年前、上杉鷹山公によって白鷹町の地場産業として定着したそうです。

白鷹紬は「板締めの絣」による染色が特徴です。

今回は 「白鷹紬」の心を大切にしながら、親子で織物作りをされている

小松織物公房様におじゃまさせていただきました。

最初に 息子さんの寛幸さんが 絣糸に縞模様を染色する作業を

拝見させていただきました。

絣糸を絣板(かえでの木)という、溝が刻んである板の間に挟んでいきます。

この溝によって色がそまります。糸の張り具合に神経を使いながら、40枚の

絣板を重ねていきます。重なる順番を間違えないように、横に斜めに溝が

彫っております。

重ねた絣板の上下に押し木を当てて仮締めをします。

溝の微妙なズレを、木べらを使い、絣模様がきちんとつくためにあわせます。

絣板の重さは30キロ以上あるそうです。

お湯をかけ 絣板と糸を柔らかくなじませてから、本締めをします。

締めすぎると薄い絣板を傷めてしまいますし、ゆるいと糸の模様がきれいにでないので

熟練の技です。

それから 染料をひしゃくで絣板にかけていきます。「ぶっかけ染め」ともいわれるこの作業は

大胆に見える所からその名が付いたといわれておりますが、実は絣板が合わさる溝の

隅々まで染料がいきわたるようにする繊細な作業なのでそうです。

この作業は1時間も続けられ、ようやく染めあがるのです。

ただ見ている私たちでさえ 汗が ぽたぽた状態なのに・・・・・・・・・・

糸を染め上げるまでで このように 大変な作業が 繰り広げられておりました。

次回は 絣糸を 外す所から・・・・・・ うまく 染まっていることを願って・・・・・・

ちょっとだけ