月別アーカイブ: 2011年7月

2011年07月30日

しょうゆ さぶれ

先日 とってもおいしいお菓子をいただきました。

はじめて食するあじでした。

名前は「しょうゆさぶれ」

群馬県安中市にある江戸時代からつづき昔ながらの天然醸造の製法にこだわっている

有田屋さんというお醤油屋さんが作っている醤油味のサブレ。

お醤油の香ばしいとってもおいしいお菓子です。

2011年07月29日

花火大会

今日は札幌の豊平川で年に一度の花火大会。

学院にとっては浴衣の着付けで 大忙しの一日です。

毎年 たくさんの呉服屋さんより着付け依頼が入ります。

私は 毎年若者に人気のある 着物のお店で着付けをしております。

今年は 1時から8時まで休む間もなく 浴衣着付け・・・・・・

アラカンの私にとっては 年々体に堪えるように・・・・・・・・(ー_ー)!!

でも・・・・体力的にはきついけど たくさんの若者のエネルギーをもらい

すご~く いろいろなことを 教えられます。

まったく着物の基本もなにもわからない若者が、自分の感性で浴衣を着る・・・・・

帯を3本使ってください・・・帯の代わりにベルトでしてください・・・・

伊達衿を3本入れてください・・・・  花魁風に着せてください・・・・・

帯を前と後ろで結んでください・・・・

私の中には ない 要望が 毎年 多くなります。

もちろん 帯結びでも こちらが良しとしても 今の若い方は納得がいかなければ

OKはだして くれません (ー_ー)!! めげてなんていられません・・・・・・

はじめから最後まで アンテナを張り巡らせ 顔を合わせた瞬間から、雰囲気

持ち物・話し方 などなど 観察(ごめんなさい)し お客様を 最高に輝かせて

あげるように 努力します。だから長時間でも あっという間に 時間が過ぎてしまいます。

アラカンばあちゃんにとっては 新しい発見ができる すてきな時間なのです。

そしてなんといっても 終わった後・・・・・・・

それぞれの お店でがんばった 講師が 集まり おいしいビールで乾杯!!

2011年07月28日

紅花 NO3 紅花染め

一度は地上から消えてしまった紅花染め・・・・・・

どのようにして 現在の染色工芸品へ復活させたのか・・・・・・・・

そして復活させたのは京の染め師でもなく、かつて紅花の生産地ではあったが

紅花染めの職人など一人もいなかった米沢の中学の理科の先生・鈴木氏だったのだそうです。

その鈴木氏の祖母の蔵から200粒ほどの古い紅花種が見つかり、昭和26年、これを

皮切りに試行錯誤をしながら紅花染めの挑戦をはじめたようです。

米沢織の三代目・新田秀次さんは、鈴木さんの最初の紅花染めに糸と織を

提供して織りあげる役目をし、その後 独自の紅花染めの道を確立した方です。

上代より行われてきた紅花染めの染色には大きな特色があります。

紅色素は高温では壊れてしまので、アルカリ性の水で紅色素を抽出し、

それを酸性に変えて糸に染着させる、化学的な理論を駆使して染められます。

紅花の染液のままでは染着しないため、米酢で中和します。分量の加減は

舌で判断するそうです。

紅色素はアルカリ性の水にのみ溶けだすので、稲わらを燃やした黒灰と水で

アルカリ性の灰汁を作ります。

紅色素は熱に弱いので、熱湯で煎じる染液抽出はしません。

色素を糸に固着させ、発色を良くするために、烏梅(梅の実の燻製)の水溶液をいれ酸性に。

やはり分量は舌加減で・・・・・

烏梅の酸による媒染は上代よりつづく伝統的染色法です。

長年紅花染めに取り組んでいる人でも、同じ色を出すことはできないというほど

繊細紅花染め。その年の紅餅の出来具合や染める時の気候、赤を発色させる

ための米酢や烏梅の加減によっても微妙に色合いが変わってくるのだそうです。

凍てつく季節に染をおこなう「寒染め」

紅花染めは、寒さの最も厳しい時期でないと、あの鮮やかな色がでないというので

染めはもっぱら真冬の作業。

水も刺すように冷たい中、寒ざらしといって紅花で染めた絹糸を冷たい空気にさらし

それを何度も繰り返して思い描く紅色へと近づけるのだそうです。

染めを重ねること八回で八塩染めといい、そこまでして初めて日本の伝統色、

韓紅(からくれない)に染め上げられるのだそうです。

2011年07月27日

紅花 NO2(紅花餅)

紅花染めは、寒さの最も厳しい時期でないと、あの鮮やかな色が出ないというので

染めはもっぱら真冬の作業になるのだそうです。

春から夏にかけては、紅花の種まき、収穫、間引き、花摘み、そして紅餅作りに

精を出すのだそうです。

○摘み取った花はざるにいれて 流水で冠毛やごみをながします

○花には水溶性の黄色素と、水に溶けない紅色素が含まれているので

 水洗いしながら もんで 黄汁(黄色素)のみを流します。そうしてもんでいくうちに

 オレンジいろから赤へと色が変わってきます。

○ぬれむしろに挟み2晩くらい発酵させます。

○発酵させたものを、だんご状丸め、むしろの上に並べます。上からむしろを

 かぶせ上から踏んで平たい団子にします。

これを直射日光で乾燥させると紅花餅の出来上がりです。

昔はこの紅花餅を作るまでが、山形の紅花農家のしごとであり、出来た紅花餅は

すべて京へ送り、京都で口紅や紅花染めに使用されていました。

ですから紅花染めの染色方法や織る技術を知っている人は、昔から山形には

一人もいなかったようです。

そんな紅花染めの技術を伝える本場の京都でさえも、戦後 技法が途絶えてしまい

長い歴史と伝統ある紅花染め、過去の栄光と、その作品と、名前のみを残して

本当にこの地上から消えてしまったのだそうです(ー_ー)!!

次は 紅花染め・・・・・・・

2011年07月26日

紅花 NO1

6世紀にはすでに中国から日本に伝わっていたとされる紅花。

紅花は昔、末摘花(すえつむはな)、紅藍、久礼奈為(くれない)、呉藍(くれあい)などと

呼ばれておりました。

呉藍というのは中国の呉の国から伝わった染料という意味だそうです。

古代、禁色の最高位に置かれ、古典文学にも多く登場し、平安朝の宮廷では

雲上人の晴着を染め、武人の世に移っては直垂の色をかざり、室町から江戸にかけては

辻が花や友禅に花色を与え、京紅、京染めなどと呼ばれもてはやされました。

そして顔料にも、薬用にもと、紅花全盛の江戸時代がやってきました。

この山形、最上川流域で なぜ紅花が・・・・・

気候・土壌が決定的な要因ではなさそうでした。

むしろ、最上川の舟運で山形と京都や大阪が深く結びつき、紅花商人たちが

活躍したことが、産地の拡大に拡がったようです。

紅花商人たちが、山形から紅餅を京へ出荷し、京からの帰り荷として古着のパーツを

中心とした日用品を持ち帰り、各地に広く商ったようです。

現在でも 最上川流域の地町村には、紅花商人たちによって京から持ち帰られた

江戸時代の雛人形(享保雛・古今雛など)がたくさんザ残存し、「山形雛のみち」や「庄内雛の

みち」といわれるほど雛祭りが盛んに行われているそうです。

一方、紅花から採れる口紅の紅は生花の0・3%程度と少なく、江戸時代には「紅一匁(もんめ)

金一匁」と言われるほど高価なものだったため、紅はごく一部の裕福な人々しか使用できず

紅花を摘む農家の娘たちには無縁のものだったようです。

明治時代になると 中国から盛んに輸入されるようになり、また化学染料が普及したことにより

山形の紅花は衰退し明治10年ころにはほとんど壊滅したといわれております。

ところが 戦後、偶然に農家の納屋から昔の種子がみつかり、また山形県の紅花栽培が

復興されました。

この地方には「半夏(はんげ)一つ咲き」という言葉があり、半夏というのは夏至より11日目の

日を指し、この頃になると、必ず1集団に1つの紅花が咲くといいます。

先兵として季節を偵察にくるのか、不思議な現象なのだそうです。

最上紅花は清明の日(4月5日)に種をまき、半夏(7月2日)に摘み取るのだそうです。

経験に学び経験に生きてきた先人の教えなのだそうです。

うっすらと空が白みかけると、早々に花摘みが始まります。乾いてからでは良質の花が

得られないのと、葉のトゲが硬くなり手に痛く摘みにくくなるのです。

私も挑戦してきました。

2011年07月23日

紅花をたずねて

札幌を旅立ち一路新潟空港へ・・・・・・暑~い(ー_ー)!!

一日目は 車で 山形 米沢へ・・・・・

山形に入ると 上杉神社の標識が多くなる。

 そして 紅花染めでは知る人ぞ知る 「新田」さんへ  

今までは 雑誌でなんども目に耳にしてきた新田さん。

ワクワク ドキドキ・・・・・

上杉神社にほど近い 閑静な場所に 板塀で昔ながらの武家屋敷風の家が・・・・・・

玄関を入ると ここで 本当に 紅花染めが 行われ、紅花紬が 織られてれているのかと・・・・・・

新田家は 武士の家で代々続いてきた機屋さん。

米沢藩主・上杉鷹山によって始められた絹織物・米沢織を守り育ててきました。

新田家三代目の新田秀次が、化学染料におされて幻と化した最上紅花を

甦らせるべく昭和38年に鈴木氏と共に、紅花染めを研究し、試行錯誤しながら

紅花染めを米沢織に生かすことに成功し、以来新田では紅花をはじめ草木染から

織までを一貫して行っており、さまざまな賞を受賞するなど、伝統工芸の分野で

高い評価を得ております。

次回また・・・・・・

2011年07月20日

サークル

山形に 勉強に行ってきました。

紅花紬・白鷹紬が出来上がるまでの気の遠くなるような工程から

しっかり お勉強させていただきました。

そして 紅花摘みまで体験させていただきました。

徐々に ブログで 紹介していこうと思っております。お楽しみに・・

今日は朝から サークル会議・・・・・・

卒業生が 自分の住んでいる地区で サークルをつくってがんばっております。

それぞれのサークル代表者が集まり、サークルの活動状況や困っていることを

出し合い 話し合います。

札幌の地区センターや区民センターでは これから 文化祭の準備に

入ってきます。 昨年文化祭に参加したサークルから、好評だったという

ことを聞き、今年は 他のサークルも参加することになりました。

このように お互い いろいろな情報を発信し合い、それぞれのサークルが

活気を増してきております。

皆様も 是非 お近くのサークルに お顔をだしてみませんか(*^。^*)

2011年07月15日

浴衣

今日の学院は窓を開けていると、風が通り 肌寒さを感じます。

毎日の気温の変化に 体が悲鳴をあげております。

でも 着々と浴衣の季節が・・・・・・・・

浴衣着付け依頼も 入ってきております。

最近の浴衣は とってもおしゃれになり、半衿をつけて夏のお着物として

又、帯を2本3本と巻く方や、帯〆・帯揚げを使う方、レースのおしゃれ衿を

入れる方 などなど 年々 エスカレート しております。

でも やっぱり アラカンのおばあちゃんとしては、藍の浴衣で

すっきりと夏を過ごしたいな・・・・・・・・・

浴衣は藍衣という別称もあります。

江戸庶民の浴衣は主に藍で染められたことから、この

名がついたとも言われております。

日本の蒸し暑い夜には藍と白の浴衣は見た目にも涼しげで

水にちなんだ柄や季節を先取り秋草や冬を連想させる文様など

暑さを忘れさせると好まれました。

私たちの年代は、見た目に涼しいことをとても大切にしましたが

現代の若者は おしゃれを 楽しむのかな・・・・・・・・・

涼しさを求めるのでも おしゃれを楽しむのでも、お袖を通して

もらえることは、私たちにとっては うれしいことです。

2011年07月13日

暑いですね(ー_ー)!!

ここ数日 札幌も 本当に暑いです・・・・・・

アラカンばあちゃんは 少々 バテテ ブログも ご無沙汰してしまいました。

先週の土曜日、バテタ体にムチ打って 日本デザイナークラブ北海道の

設立記念のつどいに参加させて いただきました。

さすがに 服飾関係の方が 多く、とってもおしゃれな洋服を

すばらしいコーディネートで おめしになっており 感動でした。

そんな中 、お着物姿の方も たくさん 出席されており うれしく感じました。

北海道知事などの来賓あいさつがあり、 その後は 札幌交響楽団の大平まゆみさんの

バイオリン演奏が・・・・・・・・・・・

客席 後ろから うつくしい音色と共に 登場され びっくり・・・・・・・

本当に心が洗われる 演奏に 感動 感動・・・・・・・・・

バイオリンの音色は 心をやさしく包み込んでくれ、 癒していただきました。

その後、夕方の番組で20年にわたり料理を紹介しギネス記録保持者の

星澤幸子さんの記念講演。

生きることは輝いていること。 自分を輝かせる為に 食がある。

 昔はあるものを食べていればそれで良かった。

でも今は、選んで食べて 自分の命に責任を持つ。

あるものをなんでも食べていたらだめな時代。

昔は生きているものをたべ、他の命をいただいていることに

感謝する気持ちで いただいた。 が 最近では 食べるものに

関心がない、生きているものを食べてないから機械化した人が多くなる。

ぶら下がっている食べ物には 体を冷やす役割がある。

夏野菜のトマト・なす・きゅうりなどの 陽の野菜と呼ばれるもの。

秋に食べる 根ものの野菜。体のエネルギーとなり根性がでる。

だから 季節にあったものを食べることが 大事である。

まだまだ 心に残り、考えさせられることを たくさんお話していただきました。

機会があったら もう一度 聞いてみたいと思っております。

 

2011年07月07日

北海道の七夕

今日は7月7日。全国的には たなばたさま。

でも、北海道の人間にはピンときません。

だって 北海道の七夕は 8月7日なんです。私が生まれるずっと前から・・・・

ケンミンショーで取り上げられのでは・・・・

私たちが当たり前に思っていることが あたりまえでなかったり・・・・

短冊を吊るす笹も・・・・・  北海道では柳が 多いかな・・・・・

それと 一番の大きな違いは、七夕の晩に、子供たちが浴衣をきて

提灯と大きな袋を持ち、「ローソク出せ出せよ、出さなきゃひっかく~ぞ」と 

歌いながら一軒一軒の家をまわり、ローソクをもらってあるきます。

最近はほとんど お菓子に代わっています。

8月7日近くになると  10円菓子が20個30個とまとめて

スーパーに並び、各家庭で、まとめ買いします。